教育資源としての民間教育 第31回
公益社団法人 全国学習塾協会 安藤 大作 会長
塾は「社会教育」の1機関
塾は世間から良いイメージで見られないのでしょうか?
先日、某塾の非常勤講師がコロナウイルスに感染しました。その地域の公立中学校では、その塾に通う生徒は授業を受けずに即座に帰宅するようにと指示が出されました。濃厚接触者というわけでもないのに帰宅させられました。この件については、全国学習塾協会として文部科学大臣と同省初等中等教育局長宛に抗議文を出しました。
さて、皆さんのお住まいの街には生涯学習推進センターなるものがないでしょうか? かつて生涯学習振興法のもとに全国の自治体に整備された施設です。
そこで皆さんにお尋ねします。
皆さんは生涯学習の中に塾が含まれると思いますか、含まれないと思いますか。
結論から申し上げると、含まれます。
生涯学習の中に社会教育があり、塾は社会教育の中に含まれます。ですから塾は生涯学習の中に含まれるのです。
それでは皆さんの地域で塾は生涯学習推進センターを借りることは出来ますか。営利企業だから貸せないと言われたことはありませんか。
生涯学習推進の観点から見れば、生涯学習推進センターを営利企業だからという理由で塾には貸し出せないというのは本来おかしいのです。もちろん特定の便宜を図ることはよくないとされています。それにしてもなぜ貸してもらえないのでしょうか?
かつてこの件で中国地方のある県においての判例があり、貸し出さないことは不当であるという判決も出ています。それでも全国のほとんどの自治体では今でも塾は営利企業だからという理由で生涯学習推進センターを貸し出してもらえません。「どうしても営利アレルギーがあり払拭できない」、これは文部科学省OBの見解でした。営利アレルギー? アレルギーが法律を越えるのでしょうか。公務員のアレルギーが指針になってしまうのが現実なのでしょうか。塾は嫌われているのでしょうか?
行政と私たちは関係ない、私たちは私たちで自由にやるまでさと斜に構え続けなければいけないのでしょうか。おかしいことを諦観するばかりでなく、おかしいことはおかしいと言えないのでしょうか。塾はロックだとこれからも気取り続けなければいけないのでしょうか。そんなに塾は世間から良いイメージで見られないのでしょうか。なぜでしょうか。
前述の文科省OBは言います。「受験競争のイメージがある。偏差値アップにのみフォーカスしてビジネスにしてきた、それがアレルギーになっているのだろう」ということです。
そんな時代もあったかもしれません。しかしその時代のその教育サービスの一面を見て、塾全体のイメージを長い間固定化することは、実相を見誤りはしていないでしょうか。
何より今の時代の塾は、受験競争を過熱化させる存在でしょうか?
公教育だけですべて問題が解決するわけではない時代です。発達障害や帰国子女、不登校児童生徒や自己肯定感に焦点を当てた塾もあります。護送船団式の時代を超えて多様化の時代になり、多様化しきれない公教育を支える形で、様々な塾が様々な愛のカタチを教育サービスに変えています。
それでもまだ「塾=営利アレルギー」の視点で扱われるのでしょうか。見られるだけならまだしも、法律を越えて運用されてしまうのでしょうか。それがこの国のためなのでしょうか。
民間の営利教育事業者は社会教育の中に含まれます。塾は民間の営利教育事業者です。ですから塾も学校教育と同じく社会教育です。
私は、これからの時代の民間教育は公教育と並んで教育の中心的役割を担っていく必要があると思っています。
塾アレルギーが残存する時代を正常化したうえで、次の時代にバトンを渡していきたいと思います。塾もどんどん若いプレーヤーが出てきました。そしてこの国の教育もますます多様で骨太な責任のあるレベルが求められてきています。
いつの頃からできた塾アレルギーが、民間教育振興の障害になることのないようにも活動をしていきたいと思っています。