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    「言葉で繋がるスポーツ界 プロ野球通訳の舞台裏」

(一社)スポーツマネジメント通訳協会
「言葉で繋がるスポーツ界 プロ野球通訳の舞台裏」

2024-08-01

一般社団法人スポーツマネジメント通訳協会は、6月18日(水)オンラインにて、3つのプロ野球(NPB)球団でスポーツ通訳者として活躍された青木レオナルド・ケン氏をゲストに迎え、スポーツ界におけるコミュニケーションと語学力の重要性、通訳者としての役割と責任、そして成功のためのヒントやアドバイスを、彼の実体験を交えて話していただいた。
インタビュアーを務めたのは、スポーツ科学博士で史上3人目の東大プロ野球選手である、同協会会長の小林至 氏(以下、敬称略)。

広島カープにいたディアス選手からマネジメントを依頼された

青木レオナルド・ケン 氏

青木レオナルド・ケン 氏

小林 通訳になったのはなぜでしょうか。そのきっかけも含めて教えてください。
青木 私はベネズエラと日本のハーフで、スペイン語が母国語で日本語と英語は学びました。ベネズエラで15年間過ごした後、日本に来て中学校から高校までを山梨で過ごしました。その後、オーストラリアの専門学校に留学し、卒業後に日本に戻りました。
私が通訳になったきっかけは、広島カープにいたディアス選手からマネジメントを依頼されたことでした。私は以前、物流関係で営業の仕事をしたことはありましたが、全く違う分野の仕事に挑戦してみるのもいいと思い、この依頼を受けました。
小林 スポーツの世界に入るためには、どのようにしてきっかけを作ればよいのでしょうか。
青木 本当に私はラッキーだったと思っていますが、これから挑戦したい方々へのアドバイスとして、スポーツを愛する人でないとなかなかこの業界には簡単に入れないと思います。何かのきっかけや自らアクションを起こすことが重要であり、積極的に連絡するなどの努力やタイミングが必要です。限られた人数しか雇えない現実もあるので、本当にその気持ちがあるなら独立リーグや海外の球団からスタートするのもいいでしょう。
小林 ディアス選手のマネジメントや通訳を行ったのは日本ですか。それともアメリカ、ベネズエラでしょうか。
青木 日本です。この経験を通じて、将来的にはNPB(プロ野球)で働いてみたい気持ちが芽生えました。まだ25歳でしたので、本当にやってみたいことで頭がいっぱいでした。それはもう猪のように突っ込んでいく感じです。
小林 ディアス選手との個人マネジメントの仕事のあと、球団と仕事をしていきますが、どのようなタイミングだったのでしょうか。
青木 ディアスのマネジメントで千葉ロッテマリーンズの事務所で打ち合わせをしていた際、ソフトバンクとの試合を観戦する機会を得ました。その試合で偶然デトロイトタイガースの国際スカウティング部長と隣り合わせになり、話をする中で私の考え方や価値観が彼と一致していることが分かり、日本でのスカウトとしての役割を提案されました。
正直私はスカウトの経験がなかったため、すぐに答えることはできませんでしたが、2週間後に再度連絡を受け、今でもはっきりと覚えていますが銀座のホテルで打ち合わせを行い、契約を結びました。
小林 ディアス選手からデトロイトタイガースへ。そして次はいよいよ日本の楽天イーグルスへ行きますが、このトランジションはどんな感じだったのでしょうか。
青木 球場に足を運ぶことによって、いろいろな人と出会う機会が増えました。そこで楽天イーグルスの編成担当者と出会うことで、履歴書を送る機会を得ました。最終的には、日本のプロ野球に関わりたい、そんな目標を持つようになり、将来的にGMや代理人を目指すために、現場での経験が必要だと感じ、通訳の仕事を選びました

スポーツマネジメント通訳は、通訳3〜4割、マネジメント6〜7割

スポーツマネジメント通訳協会 会長 小林 至 氏 博士(スポーツ科学)、史上3人目の東大卒プロ野球選手

スポーツマネジメント通訳協会 会長 小林 至 氏
博士(スポーツ科学)、史上3人目の東大卒プロ野球選手

小林 通訳者としての第一歩が楽天で始まりました。仕事はどのようにして進んでいきましたか。
青木 楽天の本拠地である仙台へ行った翌日に、一軍の試合でいきなりベンチに入ることになりました。もう本当に昨日までテレビで見ていた人たちが目の前に、同じベンチに、あの田中マー君が横にいました。これは夢じゃないのか、現実じゃないのではないかと思いました。
選手やコーチ、監督が互いに理解し合うためには、通訳がポイントを掴んで重要な部分を伝えることが求められます。時にはアドリブで対応することも必要であり、その際には失礼にならないような配慮が大事です。また、現場でのOJTを通じて、試合前のミーティングや映像を見ながらメモを取り、ピッチャーやキャッチャーのデータを研究することが重要です。通訳としての経験を積む中で、その都度学びを活かしてコミュニケーションを円滑にすることが求められます。
小林 これから通訳や青木さんのようになりたい方は、何をすればよいのでしょうか
青木 スポーツマネジメント通訳は、マネジメントの要素の方が大きいと思います。通訳が3~4割で、残りの6~7割がマネジメントと考えています。
チームの目標は、やはり日本一を目指すこと。そのためには、個々の選手の目標とチーム全体の目標が一致しなければなりません。特に外国人選手に対しては、日本の文化や言葉、野球の考え方に適応できるような支援が必要です。
例えば、休みの日には選手と過ごし、コミュニケーションを深めることで信頼関係を築くこともありました。通訳の役割とは単なる言語の橋渡しに留まらず、選手が日本の環境に適応し、成功するための支援を行うことだと考えます。選手や家族が日本での生活を楽しみ、日本に来てよかったと心の奥底から思って欲しい。信頼関係を築くためには、仕事の時間外でも通訳は選手と関わることが大切です。

心の底からこの選手に成功して欲しいという気持ちが不可欠

小林 通訳として苦労したことやエピソードがありましたらご紹介ください。またやりがいはどんなところに見出していましたか。
青木 やはり家族が一番大事です。特にラテンやアメリカの選手は、家族を第一に考えます。家族が安心していると、選手もプレーに集中できます。だから通訳として、選手の家族をサポートする重要性はかなり高いです。選手やその家族を家に招いて交流したこともありました。しかしスポーツ通訳の仕事はイレギュラーが多く、決まった時間だけではなくフレキシブルな対応が求められます。夜中に電話がかかってくることもありますし、今すぐ病院に行かなければいけない、あるいは遠征中に子どもが熱を出したりするなど、数え切れないほどのエピソードがあります。とてもきつい仕事です。
マネジメントもそうですが、その人に合わせて必要なことをやる、そして本当に心の底からこの選手に成功して欲しいという気持ちが、スポーツ通訳には不可欠です。最後に「レオがいてくれたから」「ありがとう」と言われることがやりがいや喜びであり、一番ほっとした気持ちになります。
小林 昨年から独立されましたが、そのきっかけを今の仕事を含めて教えてください。
青木 今、アスリートや特に野球選手のエージェントの活動をしております。25歳で野球界に入り、いつしかGMやエージェントを目指すという夢を持つようになりました。今までの15年間の経験を活かすタイミングが来たと感じ、思い切って独立しました。世界中の選手を相手にした仕事です。
小林 通訳から次のステップを考えている方々へ、メッセージをお願いいたします。
青木 この仕事はいろいろな世界の人々との出会いが多く、その中には野球選手だけでなくその周りの人々も含まれています。これらの出会いに、将来的にビジネスになる可能性や、いつか再会する機会があります。私が15年間で学んだ最大の収穫と言えます。これからも彼らとつながりを持ち続けることが大事だと思っております。


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