『木村塾の奇跡』〜人生が劇的に変わる!
ヒューマレッジ・木村吉宏 代表 「ある一つのこと」を意識しただけで、 人生が大逆転した生徒、親、先生の物語
株式会社 ヒューマレッジ(木村塾グループ)
木村 吉宏 代表
前著「『勉強しろ!』と言わずに子どもの学力を伸ばす法(PHP)」の出版から8年。当時3000名ほどだった木村塾の生徒数は倍以上に伸びた。進学実績も同様に伸びており、その実績を出した生徒の多くは勉強の苦手な子やごく普通の子たちだ。
PHP研究所の編集長が「奇跡」と言って憚らない数々のエピソードは生徒のことだけに留まらない。保護者やそこで働く先生にも人生が大逆転した人がいる。そこに共通する「ある一つのこと」とは?木村代表へのインタビューを交え、本書を紹介する。
木村塾の代表、木村吉宏とは?
木村氏は兵庫県に生まれ、中学校ではサッカー部に所属する。部は県大会でも優勝するほどの強豪校。ギリギリでレギュラーに選ばれるも出場した試合では度々交替させられ、大きな注目を浴びることはなかった。運動会では毎回リレーの補欠選手。正選手と同様の練習をするが当日は出場できないという損な役回りが多かったという。「良いところまではいくが表舞台には立てない『補欠の木村』」。これがいつしか木村のアイデンティティーになった。高校では一転して吹奏楽部に所属。花形のトランペットを任されるも、1年下に実力ある後輩が入部してきたことや演奏会で大失敗で『補欠』イメージの脱却はならず。
その後、当時流行っていた文化祭での映画製作が評価され、「自分には映画の才能があるのかも知れない」と自信を取り戻しつつあった矢先、悲劇は起こった。
交通事故で長い療養生活に突入
高校3年生の夏、映画製作の買い出しにバイクで出かけ事故に遭ったのだった。気づけば病院のベッドの上。頭蓋骨陥没骨折の上、左脚の骨は粉々で一時は片足切断とも言われたほど重症だった。2カ月の入院を経て高校はなんとか欠席日数ギリギリで卒業できたものの、一生松葉杖生活になるかも知れないと宣告され、大学受験どころではなくなっていた。友人たちが大学生活を楽しむ中、将来への不安や1人取り残される絶望感でいっぱいだったという。
数回の手術とリハビリを重ね、ようやく松葉杖なしで歩けるようになるまで2年を要した。しかし、大学受験の環境が整い、映像関係の学部へ出願を済ませた直後、またもや手術。再度の松葉杖生活を余儀なくされ、日大芸術学部映画学科を諦め、松葉杖でも自宅から通学できる関西学院大学へと進路変更した。杖なしで歩けるようになったのはさらに1年後。事故から実に3年が経っていた。この3年間を木村は「不幸を嘆き呪わしい目をして殺気だったどす黒いオーラをまとっていた」と語っている。杖がなくなったのを機に大学の映画サークルで再び映画製作に携わった。その時の映画は関西映像フェスティバルでグランプリを獲得している。「やはり自分には映画の才能があった!」と喜ぶも当時の映画会社はもう何年も新卒採用を行っておらず映画監督への道は開けなかった。
一人置いてきぼりにされた孤独さから「絶対に生徒を見捨てない塾」を開塾
映画監督になれないと分かったとき、思い出したのが塾での講師経験だった。映画の製作費を稼ぐため高額の講師アルバイトを掛け持ちしていた。子どもが好きだったので教えるのは楽しかったが、大量の宿題やテストには懐疑的だった。「自分ならもっと違ったやり方で子どもを伸ばせるのに」と思いながら授業をしていた日々を思い出したのだ。そこから塾を設立するまではあっという間だった。
人間教育ありき!それが木村塾
「絶対に生徒を見捨てない塾」をキャッチフレーズに開いた塾に集まったのは、勉強が苦手な子ばかり。そんな子どもたちに「友だちは合否を競うライバルではなく一緒に闘う仲間であること、共に頑張ることで何倍もの力が出ること」を伝え続けた。人間には自分の幸せはもちろんのこと、「人の役に立ちたい」という欲求があり、人の役に立てたときには大きな幸福感を得られるのだ。誰もが持っている美しい心に呼びかけ、人としての成長を促していく木村塾の試みが子どもたちの信じられない成長と頑張りを生んでいったのだ。
本書には『偏差値40台から国立大学に合格した生徒』、『仲間と一緒に合格したい! と難関大の指定校推薦を蹴り一般入試で合格を手にした生徒(当時の偏差値40台!)』、『我が子の頑張りに触発され会社を立ち上げたお母さん』、『自衛隊の幹部候補生の道をあっさり捨てて木村塾への就職を決めた卒塾生』、『生徒や先生に支えられ大きな成長を遂げた元・泣き虫新米先生』など、生徒のみならず、人生が逆転した多くの人たちのエピソードが満載だ。
木村塾には「人生の勝利の方程式」と名付けた七カ条(※)があり、彼らに共通するのは、それらを実直に実践してきたということだ。中でも第七条の「人のため=利他」は何より重要なのだが、それがどう作用していくのかは本書の各エピソードにてご確認いただきたい。
木村塾にとっての「利他」とは?
木村がとことん「利他」にこだわるのは、自身に子どもを授からなかったことが大きいと語っている。「自分に子どもがいたら、きっと私利私欲に走っていただろう。そうならないよう神様が子どもを授けないという試練を与えたのだ」と考えようと思ったと。そして1人でも多くの子どもたちの役に立ち続ける人生を生きようと決心した、とも。
木村塾
「人生の勝利の方程式 七カ条」
(1)元気いっぱいの挨拶を自らする
(2)マイナス発言をしない
(3)全てのことに「お願いします」の気持ちで取り組む
(4)自分に限界ラインを引かない
(5)高い目標を期限付きで掲げ努力し続ける
(6)常に感謝の心を持つ
(7)他人を喜ばせる、幸せにすることが自分の幸せだと考える。