教育資源としての民間教育 第22回
公益社団法人 全国学習塾協会 安藤 大作 会長
あらゆる塾に関係している(公社)全国学習塾協会
1970年代に日本にどんどん増えていった塾は、1980年代に入ってもどんどんと増え続け、通塾率も上がり、塾がますます大衆化していきました。一方で1980年代に入ると、塾における消費者トラブルも後を絶たず、通商産業省(現経済産業省)から指導を受けることになりました。
新しく生まれた業界、そこで生まれ始めた数々のトラブル、そんな中で「国の規制がかかる前にまずは自分たちの業界で自主基準などを設定し、業界全体で自浄努力に努めること」
通商産業省のそのような指導のもと、1988年に全国学習塾協会は誕生しました。
それ以来、全国学習塾協会は学習塾業界において深刻なトラブルや問題が起こるたびに、省庁のカウンターパートとして対応する役割を負っていきました。
結成以来、協会の役員の方々は個人塾の方々が組織する傾向がありました。そのことで「学習塾協会は個人塾の集まりである」とか「大手に対抗するために組織されている団体である」かのように思われ、言われることもありました。もちろん前述の通り、そんな定義は存在するわけがなく、たまたま個人塾が多い傾向にある団体であったということです。
一方で、省庁は全国学習塾協会が個人塾の団体であるとは思っていません。業界に何かあるときにはカウンターパートとして「やりとり」をする団体であるという見方をされます。それ以上でも以下でもなかったわけです。
さて、塾は在野の精神で自由な気風で教育展開する存在であり、省庁などとは交わらず教育表現するべき存在であるといった意見もよく聞きます。それについて私自身は「その通りだ」と思う部分と「そうではない」と思う部分があります。それは「トラブルを多発させながらでは自由は主張できない」という点です。
言うまでもなく学習塾も社会の中の産業として、広義では公器ですから、「自由」はある一定のルールの上で成り立つものであり、ルールを逸脱してまで自由を主張する姿勢では、何かあれば規制の対象になるかもしれません。そこで一番傷つくのは自由で伸びやかな教育を受けている塾の生徒たちであり、塾が居場所になっている子供たちでしょう。また、子供に教育を説く大人が、「社会への感謝と公共心や礼節の姿勢を軽視して、自らの主張だけを自由と叫ぶ姿勢」があるとすると、それはそれで純粋な子供たちへの教育という点で一抹の疑問と不安を感じます。
規制がなく、自由に塾が展開できる今の日本の社会は、今までは当たり前だったかもしれません。感謝(ありがとう)の対義語は「あたりまえ」とよく言います。自由な教育が展開できる幸せな環境がこれからも続いていくためには、規制がかかる手前の防波堤の役割も必要であり、つまりは業界の自浄努力姿勢を示すと同時に、公益的に活動できる業界であることも示してこそ成り立つものでもあります。全国学習塾協会はすべての塾を経営する方々に関係しています。自分には関係がない、入会するメリットがない、という声も聴きますが、そのレベルとは違う判断軸で認識していただければと思います。